五島むかしばなしを楽しむ会
才津 久高さん
もともと小学校教師であった才津さん。教員を辞めてからは陸上クラブの手伝い等をしていました。今でも週2 回汗を流すソフトボールや、所有する船で出かけるたまの釣りと、活動的な一面は変わらずですが、運動系の活動ばかりだった生活から一転、現在は五島むかしばなしを楽しむ会の会長として、昔話の伝承という文化活動に励んでいます。
五島むかしばなしを楽しむ会
五島市で昔話を伝承する活動として発足したこの会。始まりは2015年に開催された「第29回昔話を楽しむ九州・沖縄交流会in長崎」でした。「開催場所が福江島だったので、昔話の読み聞かせなどの活動をしている人たちと、五島むかしばなしを楽しむ会を発足しました。当日は、ホール等での講演形式、そして市内の保育園、幼稚園、小学校に各地から来られた方が出向きお話会の開催と、とても良い催しでした。」この活動はとても大事なのだと感じ、これで解散はもったいない! と感じた会のみんなの想いが連なり今では役員6 名、会員約50 名で、月一回の活動を続けています。
昔ばなしは土地のアイデンティティ
この会は、五島市内の保育園や幼稚園、小学校、中学校へ出向き昔話の読み聞かせを行う活動の他、まだ埋もれている昔話の発掘も大事なお仕事です。「昔話は、古来から世代間でお話を通じて伝えられてきたものです。その上で、文献として残されているものもあるのですが、もちろん残されていないものもあって。それらを聞くことができる時間は有限なので、情報があれば伺ってお話を聞き、残しています。」核家族化が進み、祖父母と生活したりお話を聞く機会が格段に少なくなった昨今、五島の言葉で語られる昔話を聞く機会は、当たり前から貴重なことへと変化してしまいました。昔話は、その土地の歴史や文化、教訓などを表すもので、まさにその土地のアイデンティティ。家庭では聞くことが減ってしまっても、この会を通じて子供たちが聞ける環境は残っています。
五島弁で伝える・伝わる
「お話会をしていく中で、五島弁が伝わらない状況が出てきて少し危機感も感じました。話の言わんとするところであったり、温度感だったり、味わいだったりというのは、五島弁が分かる事で、より一層伝わる事が多いと感じています。なので、できるだけ伝わってきたそのままの形で継承していきたいと思っています。そのために、まずは五島弁を知ってもらわなければと考えました。」標準語に訳すこともできるけれど、これまで紡がれてきたありのままを、伝える側も伝えられる側も受け取れるように、そんな想いから生まれたのが『五島弁かるた』です。
五島弁かるた
「最初は『どうでんこうでん五島弁』というイベントを開催し、五島弁を10人ほどのグループで話してもらいながら五島弁に触れる機会を作っていました。でも、これではこのイベントに参加した人にしか広げることが出来ないと考え、作ったのがかるたです。」五十音それぞれに、何の五島弁を当てるか、たくさんの話し合いと10回以上の校正を経て出来上がりました。「あまり知られていないものも積極的に取り入れています。挿絵は会員の一人が書いてくれて、印刷も島内で。五島が詰まったかるたです。」最初は想像以上の反響があり、ご飯を食べる時間がないほどだったそうですが、改めて、本来の活動である昔話に原点回帰しなければと考えます。
五島の昔話を「すごろく」に
そこで思いついたのが「すごろく」です。「会員が図書館で『福江商店街すごろく』というものを見つけ、これは面白いと。五島の昔話でも作ってみようということになりました。いくつかのマスに昔話のタイトルが散りばめられていて、別冊子にその話が書いてあるので、気になるものはそこに止まったら読んでもらえるような仕組みにしています。」取材をした日に居合わせた高校生も興味津々で、一度やってみることに。ルールも簡単で、タイトルも目を引くものが多いので、遊びながら、会話しながら昔話にふれ、楽しんでいました。
昔話を残していくために、何ができるか、何が必要かを常に考えている才津さん。住まう土地のことをより深く知ること、多くの世代と話すことの大切さなど、分かっているようで、なかなか出来ていない部分を「楽しむ」という手法で手を差し伸べてくれることに、優しさと先生らしさを感じました。
『五島弁かるた』も、『五島のむかしばなしすごろく』も本町通り商店街の光洋社さんで販売中。ご家庭での団欒や、友人との娯楽にぜひ!
【取材・執筆・掲載】fully編集部
【掲載先】fullyGOTO2024秋号